虎退治の方法

(この話で出てくるエピソードは、全て僕の記憶を頼りにしていますので、何か間違いがあるかもしれません。あらかじめご了承ください。)

 

皆さんは「山月記」という話をご存じですか?

高校の国語の教科書に乗っている有名な話なのですが。

 

内容を要約すると、

「古代中国にて、若くして科挙(国家公務員試験みたいなもの。めっちゃ難しい)に合格した優秀な青年が、官僚としてではなく漢詩(ポエム)で大成したいと野望を抱いたが、一向に上達せず、しかも旧友は官僚として出世していくので、不安や悔しさが募り、ついには虎になってしまう」という話です。

 

虎になるというのは物語上の表現でしょうが、これは認められない不安や悔しさを表したものでしょう。

 

ここで描かれている「自意識」って、きっと時代を問わず、そして割と多くの人にあるものだと思います。

 

何て言うか、現代風に直しても、この話は成立しますよね。

東京大学に入ったものの、自分は音楽で生きていきたいと思い、日々ライブを繰り返すものの、ファンが2人しかいなくて、しかも周りの友達がどんどん新たな事業を成功させていているので、不安や悔しさが募り、ついには虎になってしまう」

これでも話が成立しますよね。この物語は、非常に普遍的なテーマを持っていると思います。

 

この話は中山敦さんによって書かれた話なのですが、実はこれには原作があります。

 

原作は中国で書かれた話で、最後には虎になってしまうという部分は同じです。

 

しかし、虎になった理由は違います。

原作では、貴族同士でお家騒動などの混乱があって、そのもめ事が嫌になって最終的に虎になったそうです。

 

つまり中山敦さんは、この話をリメイクするに当たって、虎になる理由を「貴族にしかない『お家騒動の苦悩』」から「誰にでもある『自意識による欲求』」に変えたのです。

 

 

さらに面白いのが、そんな自意識の話である山月記を、日本の教育委員会は、自意識が一番調子乗り出すであろう高校生の教材にしているのです。

 

何て言うか、国がまるで「お前らはどうせこんな感じだろ、目立ちたくてもはや虎みたいだぞ」と僕たちに言っているみたいです。

 

 

僕はこの辺の、誰もが持っている感情が肥大化しまくって、何かを起こしてしまう話が大好きです。

なのでいくつか紹介しようと思います。

 

 

まず1つ目に、コロンバイン高校銃乱射事件についてお話しようと思います。

 

これはアメリカのコロンバイン高校にてあった自殺テロです。

 

主犯は2人の青年で、2人ともコロンバイン高校の学生でした。

彼らは2人ともパッとしないいじめられっ子でした。

 

しかしどうやら彼らは、そこまで本格的にいじめられていたわけではなく、先生達は「彼らは学力にも問題は無く、全く手のかからない青年でした」といった事を後に話しています。

 

そんな彼らが、武器を持って、学校中の生徒を撃ち、そして最後にはその銃で自殺することになります。

そして遺書には、「女は俺を惨めな気分にさせるから全員死ぬべきだ」などと、非常に自分勝手なことばかりを書いていました。

 

そのことから考えるに、周りの人からは大したこと無く思えても、怒りが増幅していき、本人は本気で恨んでいること、本気で苦しんでいることがある、という事を思い知らされます。

 

 

次に、マシュー・グラハムについての話をしようと思います。

 

 

彼はオーストラリアに住む男性で、違法なホームページを設立し逮捕された人です。

 

彼は高校時代、学生ではありながら、ネットゲームやネット掲示板にはまっていて、半ば引きこもりのようになっていました。

 

その中で彼は、anonymousというグループが、loritacityという違法サイトをサイバー攻撃したことを知ります。

 

loritacityとは、ディープウェブ(検索しても出てこないサイトを取り扱うウェブ)の中にある、小児性愛者の為の違法なサイトです。

 

インターネットの住人達は、anonymousの攻撃に対し「表現の自由を奪っている」などと批判しました。

グラハムはこの批判活動には参加しなかったものの、この事件は彼の中に強烈なインパクトを与えました。

 

後にグラハムは大学生になり、ナノテクノロジーを研究することになるのですが、大学の社会、コミュニティーになじめず、すぐにドロップアウトしてしまい、前以上に自宅にこもるようになりました。

 

そんな中、彼はanonymousの件を思い出したのか、自分でPedoEmpireという小児性愛者の為のサイトを作りました。

 

彼は自身を小児科の先生と偽り支持を集め、PedoEmpireはみるみる成長していきました。

ちなみに、彼自身は全く小児性愛者ではありませんでした。

 

しかし最終的には警察に逮捕されることになります。当時、彼は成人前でした。

 

この件から僕が考えるのは、グラハムは表現の自由を大事にしていただけでなく、きっと自分が誰かの為になっていないことが嫌だったのではないでしょうか?

 

大学に入って、完全な引きこもりになった後、本当に自分の存在価値がなくなって、その不安から違法な手段を使ってでも認められる体験が欲しかったのではないか、と僕は思います。

 

 

これらの感情に共通するのが、何らかの認められない状況があって、それがきっかけで大きな事件を起こしていることです。

 

僕は「ねほりんぱほりん」という、NHKでやっている、元犯罪者などにインタビューする番組が好きなのですが、そこに出てくる悪い人は大抵、幼い頃に何かしらの認められ無さを持っているのです。

 

そしてとある回では、もし勉強が出来なくても、ちゃんと靴を揃えられるとか、そんなところでもちゃんと褒められていたらよかったと言っていました。

 

僕はこの話に非常に影響を受けています。

人間は皆、ちゃんと認められていないと、何かしら悪い方向に曲がってしまうと思っています。

誰にでもある身近な「認められたい」という欲求が、大きな事件を引き起こす可能性があることを知っています。

 

だから僕は、人が健全に認められる方向に行くことを大事にしています。

 

例えば僕は、Vtuberの文化が大好きです。

 

Vtuberは、特別歌が上手かったり、特別面白くなくても、ありのままの人として認められますし、すっごく褒め合っている文化です。

そういったものを僕は賞賛しています。

 

そして僕自身も、そういった風に褒められるように動いていこうと思っています。

 

一時期youtuberっぽいことをしてみようとするなど、思いついたときに人前に立ったりしていますし、これからも思いつき次第やってみようと思います。

 

自意識の虎にとりつかれないように、僕はいっぱい褒めようと思うし、そしてたまには褒められに行こうと思います。